夫が威嚇用の空気銃を持ち出してようやく飛び立ちましたが、少し離れた場所の別のカラスは次に標的にされるまでやはり動きませんでした。
いつもと違うそれらの理由が分かったのは、圃場内に入ってからです。
奥の方で蠢く黒い物体があって、なにかと思ったら、カラスが1羽逆さに宙づりになっていたのです。
カラス除けのテグスに引っ掛かったようで、時間が経っていたのか、大分弱っているようでした。
昔話だったら優しいお百姓さんが助けてあげるのでしょうが、そういうわけにはいきません。
カラスって酷いのよ、道路で死体をついばんでいるのを見かけるし、TVで弱った子猫を食べるために殺すと言っていたしそれに助けようとして興奮して逆に突かれてケガでもしたら・・・。
でもそれらを言い訳のように感じてしまうのは、自分が甘いからだと分かっています。
浦島太郎だって、食用になったかもしれない亀をみすみす逃がしたために、ひょっとして村人に怒られて竜宮城に逃げ込んだだけかもしれません。
宮沢賢治の『よだかの星』も、生きるために殺すことが辛いからと星になるなど、普遍的な解決策とはどうしても思えない。
だけど、いたずらに弱るだけのカラスを励ますかのように、圃場周辺を飛び交うカラス達とその鳴き声が重くのしかかって仕方ありません。
やがてカラスは事切れて、見守っていた仲間も姿を消していきました。
虫もカラスも食用牛も、うちの可愛い犬sも人間も、みんな必死に生きています。
生とは驚異的で美しいものですが、同時に情け容赦なしに惨たらしい。
それらをひっくるめて甘受することが生きる課題なのだと痛感します。