2015/11/26 Thu 曇ときどき晴 堆肥の思い出

ようやく昨日から堆肥撒きに移りました。堆肥は、既に先月運んできてもらっていて、作業小屋の隣にあります。
シャベルで猫車に積み、苗木の周囲の今回耕した領域を覆うように撒きます。
猫車3杯分撒きちらかし、じょれんでまんべんなく拡げます。

『堆肥撒き』 を私が 『うんち撒き』 と言うと夫はイヤそうな顔をします。 『クソ撒き』 と言い換えてあげるとようやく 「違うでしょ」 と抗議します。『堆肥撒き』 と言ってほしいようです。
でも個人的にはやっぱり 『うんち撒き』がしっくりきます。
堆肥は本当は完熟を用いたいのですが、ここでは完熟堆肥は手に入らないので、数カ月物堆肥を使用しています。
非完熟でも熟しが入っているだけあって、うんち感はありません。けど、牛の糞を扱うということに、遠い日のノスタルジーを覚えるのです。
私が小学生の頃、東京都下の町に住んでいたのですが、当時は周囲は畑ばかりで牛もよく見られたものです。
春が近くなると近所中の畑に豪快にまだ原型の名残がある牛糞がたぷたぷと撒かれた、というか、被せられたものでした。それらは降雨があると水気を帯びて尚いっそう弾力を増し、微風にたなびくほとでした。
これだけならさほど思い出にならないのですが、子供とは分からないもので、私たちはこの“たぷたぷ牛糞に遠くから小石を投げる遊び”(命名 『ぼっとん』) を創作してしまいました。何が面白かったのか、今ではさっぱり理解できません。
確か小3くらいからそこそこ分別が付いてもいい小6まで、春になると必ず、それもいそいそと楽しみに、この季節限定レジャーに繰り出したものでした。
だから牛糞を見ると、たとえそれが原型を留めておらずとも、来し方を思わずにはいられないのです。
というか、大人になってまた牛の糞をいじることになろうとは・・・。
作業場の横の堆肥です